ゲルランドは、1954年にドイツ、ボフムのヴァイトマール地区で4人兄弟の長男として生まれました。貧し家庭で育ったとはいえ、幸せな子供時代だった、と言います。「アイスを買いたいから小銭をちょうだい」、と母に尋ねた時には、母親からこんな返事が返ってきました。「ヘルマン、今アイス買うのにお金あげたら27日になったらサンドイッチに入れるハムなくなるよ」。そのあと母親にお金をせがむことなど絶対にしなかった、と。9歳の時に父親を亡くし、母親が掃除婦として働き、彼が弟妹の面倒を見る生活が始まりました。「俺の弟や妹とケンカして殴ったりしたらあの兄貴が来て大変なことになる、ってみんな知ってたみたいだよ」。

当時5人で住んでいたアパートの広さはたった52平方メートル。当時ゲルランドとその弟妹は一日のほとんどを外で過ごしていたそうです。「俺たちやんちゃでね。いつも外で走り回っていたよ」、と振り返るゲルランド。一番好きだった場所は、近所の小さなサッカー場。大胆不敵なストリートキッカー、ゲルランドが勝つことに全身全霊を注いでいた場所です。それができたのも、毎年サッカーシューズのおさがりをくれた友だちのマーティンのおかげ。今でも彼はこの友人の存在に感謝しているようです。

明けても暮れてもサッカーばかりしていた彼はまずヴァイトマールのサッカー選手になり、その後18歳にしてドイツでも有数のサッカーチーム、VfLボーフムとプロ契約を結ぶことになりました。そして、1972年9月にはアイントラハト・ブラウンシュヴァイク戦でブンデスリーガデビューを果たすことになりました。サッカー選手としての彼の哲学は？お酒を飲まないこと、大きな野心を持つこと、常に相手の選手に食いついていくこと。彼は1984年までにボーフムチームの選手として204試合に出場し、常にフェアなディフェンダーとして活躍しました。しかし最後の9年間は厳しいものだったと言います。

ゲルランドはボーフムで1985年にコーチとしてのキャリアをスタートしました。1988年にはニュルンベルクの監督に就任し、その後、FCバイエルン・ミュンヘンのアマチュアチーム、テニス・ボルシア・ベルリン、アルミニア・ビーレフェルト、SSVウルム1846などの名チームを率いて監督としてのキャリアを前進していきます。彼がFCバイエルン・ミュンヘンでの輝かしいキャリアをスタートしたのは2001年のこと。ここでは2021年7月まで様々な役職を務め、世界でも屈指のこのチームの輝かしい歴史に貢献してきました。

彼はユップ・ハインケス、ルイス・ファン・ハール、ペップ・グアルディオラ、カルロ・アンチェロッティ、ハンシ・フリックのもと助監督をつとめ特に若手才能の発掘、育成で有名なコーチとなっていきました。ハマン、バトシュトゥバー、ラーム、シュバインシュタイガー、アラバ、トーマス・ミュラーなど、後にドイツ代表となった数多くの選手を育成してきたのもゲルランドです。そんな名コーチとはってもその謙虚な姿勢には今も昔も変わりはありません。「選手たちのなかには俺が少し成長に貢献できた人たちもいるよ」。2009年から2011年までバイエルンのヘッドコーチを務めたルイ・ファン・ハールはゲルランドにこんな風に言ったとか。「ヘルマン、君が初日に選手一人ひとりがどんな選手か3つの文でコメントしただろ。1年後にはっきりわかったんだけど、あれって今まで経験したことないようなすごい体験だった。コメント全部当たってた。チームは君の眼力をもっと利用しなくちゃ。お前は目が恐ろしく鋭い」。

ゲルランドは若手からそのすべてを引き出すタイプの監督です。その中でも一番大切なのは？規範を自分の中で守ること、いつでもやる気でいること、タフさ、公平さ、時間厳守などなど。「『渋滞だったんですよ』って言う奴には『お前、渋滞が始まる前に出てなきゃダメだろ。俺はいつもそうしてる』って言ってやるんだ」。

そんな厳しい監督とはいえ、選手たちは彼に絶対的な信頼を寄せています。「若い時は馬鹿なことやっちゃうこともあるよ。それは許してあげなきゃ。若い時ならしょうがないよ。後でやるよりいいだろ」。ゲルランドはいつも選手を理解し、役員会の前でも選手たちを庇ってくれる存在です。例えば、ある違反でチーム退会を余儀なくされていたシュバインシュタイガー。「『だめだよ、あいつはチームに残る。俺だって昔は馬鹿なことしたよ』って」。それからのゲルランドの輝かしいキャリアはサッカー界の伝説でもあります。2014年世界チャンピオンになったドイツ代表チームのうち5人はゲルランドが育てた選手だったのですから。シュバインシュタイガーももちろんその一人です。

ゲルランドをFCバイエルンの魂と呼ぶ人はたくさんいます。トーマス・ミュラーにとってゲルランドは父親のような、友人のような存在だとか。「タイガーさんが教えてくれなかったら、今の自分にはなれなかったと思う。でもさ、俺がいなかったら9回もドイツチャンピオンの監督になれなかっただろ」と言われたときには「ウィン-ウィンだな」、とユーモラスに返したそうです。

VfLの選手時代にもビルケンシュトックを履いてい理由は？「単に履き心地が良かったから。作りもしっかりしていたし。歩きやすい靴だからさ」、とゲルランド。「子供にも買えって勧めたぐらいだよ。今はうちの家族みんなBIRKENSTOCKを履いてる」。しかし、監督がビルケンシュトックを履いて登場したことには、ボーフムの役員会は頭を抱えたとか。「どうでもいいだろそんなこと。いい脚なんだからどんな靴履いてたって」、とにっこりとほほ笑むゲルランド。

FCバイエルンに初契約のために呼ばれたときも、ショーツにビルケンシュトックとカジュアルな服装で登場したとか。シェーラー理事長は「こんな格好の男、一体だれが呼んだんだ」、責めるような口調でハインケス監督に尋ねたというおもしろい逸話もあります。そのハインケス監督の答えは？「お偉方の皆さん、大丈夫、すごい奴が来てくれたんですよ」。ゲルランドはその場でバイエルンとの契約を結びました。コロンビアへの新人視察の旅でじゃ？「ウリ・ホーネースにね、『ビルケンシュトックなんか履いていくなよ！』って言われて、コロンビアに行ったときは40度ぐらいの暑さでみんなショートパンツなのに俺だけネクタイにスーツエナメルの靴履かされてさ。ビルケンシュトック履いてれば楽だったのに」。

2021年9月からはドイツサッカー連盟でU21代表チームの助監督に就任したヘルマン・ゲルランドには引退などまだまだ先のことのようです。「サッカー場に行って若手がいいサッカーやってるの見るとすごくうれしくなるんだ。本当に幸せだよ。引退は早くても92歳かな。そのあとでもパートタイムで続けていくつもり」。